江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった! Page2 江戸時代の庶民の家、長屋のトイレ(下肥)事情!

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江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった!

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「 江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった!」 をテーマにした、三好俊之介の、江戸時代リサイクル考!俊之介自己紹介
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江戸時代の紙リサイクル事情! page1
江戸時代の庶民の家、長屋のトイレ(下肥)事情! page2
火事と喧嘩は江戸の華! page3
様々な職業・・・物を大切にする江戸文化! page4
江戸時代に頂点に達した物を大切にする文化は、今いずこへ・・・ ( 1 ) page5
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庶民の家、長屋のトイレ(下肥)事情!

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俊之介のトイレ 江戸の庶民が暮らしていたのは、主に長屋でした。
長屋は、大商人などが店舗の裏などの余った土地や、他に持っていた所有地に建てて、資産として持っていたもので、店舗の裏にあったので裏店 ( うらだな ) などとも呼ばれ、一般的には一棟の建物をいくつにも区切った棟割長屋で、それを資産の有効活用として庶民に貸したものです。
1軒分の基本的な大きさは、「 九尺三間 ( くしゃくさんげん ) 」 とか 「 九尺二間 ( くしゃくにけん ) 」 などといわれる通り、間口が九尺ですから1間半で、奥行きが三間あるいは二間。 つまり、21世紀の長さの単位では、間口がおよそ2.7mで、奥行きが5.4m〜3.6mで、14.6平方メートルから9.7平方メートルというところでしょうか。 奥に6畳か4.5畳の間があり、表に3畳あるいは1.5畳程度の玄関兼台所の土間といった間取りでした。

一般的な長屋 通常は、そうした棟割長屋が2棟、路地を挟んで向かい合わせに建てられ、路地の真ん中には奥から下水用の排水溝 ( どぶ ) が通りの側溝まで出ていて、その上をドブ板で覆っていました。
そして2棟の長屋の奥には、共同井戸と共同トイレが配置されているというのが、基本的な構造です。
21世紀にも残っている 「 井戸端会議 」 という言葉は、この長屋の共同井戸で、朝な夕なに各家の主婦たちが野菜を洗ったり食器を洗ったりする合間におしゃべりしていて、にぎやかだったことに由来します。

さて、長屋では、大家さんが重要な役割を果たしていました。

大家さんとは、ほとんどがその長屋の家主ではなく、大商人などの所有者に雇われた、長屋の管理人でした。
江戸時代も中期以降ともなると、庶民も含めて識字率は80%を超えていたと言われていますから、同時代のロンドンやパリの識字率が10%前後だったことと比べると、江戸の庶民は、驚異的な教育水準にあったと言えます。
しかも江戸時代に 「 読み書き 」 が出来ると言うことは、漢文を理解できるということですから、庶民と言えども論語程度の教養はあったのです。 あの、落語の 「 饅頭こわい 」 も、中国の古典が元になっているって言うんですから、庶民の教養の程が知れようというものです。
前ページでご紹介した、幕末の日本に来ていた、あのトロイ遺跡を発掘したシュリーマン氏の著書には、
「 いろいろな教養書や孔子、孟子の聖典を売っている数軒の本屋の前を通った。 本は実に安価で、どんな貧乏人でも買えるほどである 」 ( 講談社学術文庫 『 シュリーマン旅行記 清国・日本 』 より )
との記述もありますので、それだけ識字率が高ければ、本の需要も旺盛だったのでしょう。
そんな中で大家さんは、そうした庶民以上の教養が必要でした。

江戸の治安組織としては、公には南北の町奉行所がありました。 そこの役人を町方役人と言って、町奉行を総責任者として与力や同心などが居ましたが、その数は、南北合わせても300人前後。
しかも南北奉行所は、江戸の北と南を分割して治めるのではなく、月によって交代で江戸全体の役務を行っていましたので、実際に、一度に人口百万を超えんとする江戸の行政機関として働いているのは、たった200人に満たない人数だったのです。
しかもその町奉行所の仕事は、21世紀の都庁や区役所・市役所のする仕事から、裁判所や警察署や消防まで、多岐にわたっていましたので、とてもとても、公儀の役所だけで全てが賄えるはずもありません。
そこで、江戸の各町では自治組織を作って、そこに町(ちょう)役人なるものを置いていたんですね。
町方役人 ( 公儀の役人 ) の指導の下、町役人 ( 民間自治役人 ) がほとんどの自治を行う。 そんな組織だったのです。

長屋の大家さんは、そんな町役人と住民とのつなぎ役のような立場にあって、行政書類の作成から何から何まで、長屋住民の世話をする役割もあったのです。
他にも大家さんは、長屋の人たちの私生活面の面倒もみるなど、長屋住民からは親のように思われていました。

肥え汲み 大家さんは長屋の管理人として様々な仕事をしましたが、その中には長屋建物の管理から、井戸の管理や、共同トイレの管理ももちろんありました。
中でも共同トイレは、日々住民の排泄物が溜まり、衛生面では一番気を使わねばならない場所でした。
しかし、そこはエコ社会が徹底していた江戸時代のこと、たとえ住民の排泄物とて無駄にはしなかったのです。

江戸には100万を超える人々が生活していて、その食料は大変な量を調達しなければなりませんでした。
最初江戸に幕府が開かれた頃、まず徳川直参の家来たちの屋敷や各地大名の江戸屋敷が整備されましたが、各地大名はその食料調達に、自らの屋敷内にお国の野菜類を持ち込んで畑を作っていました。
米は地方からの長距離輸送も可能でしたが、生鮮野菜などは江戸で調達しなければなりません。
しかしまだ江戸周辺には、それらを賄うだけの農地もなく、大名や直参たちは、自力で野菜類を作らねばならなかったのです。
畑作 しかし時代が下るにしたがって、江戸には大名たちの需要を賄うための職人が集まり、周辺には農地も整備され、大名たちがそれぞれの国から持ち寄った各地の野菜の種を元にして、農民たちが江戸で野菜を作りはじめます。
そうした事情で、江戸には日本全国の特色ある野菜が栽培されるようになるのですが、それらの肥料は、主に農家から出る人糞や、魚の鰯などを絞ったカスが使われました。
それでも人口100万の都市を支えるには、大量の食料が必要で、生産性をあげるためには、ふんだんに肥料を使う必要があったのです。

そこで、江戸に集まった農民以外の人々が排泄する人糞が、役に立ちました。
江戸ではそれらを集める 「 下肥問屋 」 という商売もあり、集めた人糞を農家に販売していましたし、下肥問屋は、主に長屋の大家さんと契約して、お金を払って集めていたのです。
農家の方も、作った野菜などをお土産にして、自ら江戸の町に人糞を集めに来ることもあったようですから、大家さんは農家と下肥問屋を競争させて、結構な高値で人糞を売っていたようです。

そうして売り上げたお金は貯めておいて、年末にそのお金でお餅をついて、長屋住民に配ったりしていたのです。
そうそう、「 しりもち 」 という言葉がありますね。 あれは本来は、そうして下肥を売ったお金でついた餅のことを言うんだそうです (^_^;)

ちなみに農業用肥料としてその他に多く使われたのは、いわしやニシンをさっと茹でた後に絞って魚油を採ったあとに残る油粕。 魚の油粕を天日に干したものを肥料に使ったんですねぇ。 まさにオーガニック!
江戸時代の人たちは、美味しい野菜をたくさん食べていたんですよ。
魚を絞った魚油は、長屋の住人たちの明かりとして、使われました。
夜の明かりで最も明るいのがろうそくですが、これは高価で、なかなか長屋の住人の手の届くものではありませんでした。
次には菜種などの植物性の油を行灯で燃やすのが良いのですが、これもちょっと高い。
最も安かったのがこの魚油で、燃やすと匂いが強いので、長屋の住民のほとんどは外が暗くなると寝てしまう・・・
夜明けと共に起きて活動し、日暮れと共に寝る。 まさに自然だったんですねぇ!
 
俊之介 前述のシュリーマン氏の著書 ( 講談社学術文庫 『 シュリーマン旅行記 清国・日本 』 ) には、畑の肥料についての記述が2ヶ所あります。
最初のは、公方さま ( 第14代家茂・・家茂は第二次長州征伐のために上洛したが、大阪城で病に倒れ20歳で亡くなる ) が、江戸から京に上られるのを見物に行った折の行列の様子を詳細に記述していますが、そのときに見た、周辺の畑の様子も記述していて、そこに
「 土は良質の黒土で、火山滓か焼けた岩石の砕屑からできたものと思われる。 さらに何世紀にもわたって液状の肥料が与えられた結果、肥沃な土になったのである。 」
とあり、さらに後に、横浜から八王子に向かったときの記述に、その 「 液状の肥料 」 が何であったのかが判明したのか、
「 畑を肥沃にするには、引き抜き刈り取ったあと腐るにまかせた雑草と、町中でていねいに集められた液状の人糞が使われる。 」
と書いています。

シュリーマン氏は著書のいたるところで、日本と日本人の清潔さ高潔さを、驚きの目を持って記述していますが、ヨーロッパの各都市では、最も早かったパリでも、やっとこの幕末頃に大規模な下水道が整備されたところだったそうで、それまで人々は家の窓から排泄物を投げ捨てるので街は悪臭に満ちていたそうですし、しかも非衛生極まりないですから大規模なペストの流行が頻繁にあったりと、歴史的に長年手を焼いていたと言うのですから当然かも知れません。
いったい、日本の社会システムはどうなってるんだ・・・
そんな疑問を持っていたところに、これほどシステマティックに、しかも有効な資源として人の排泄物を利用しているのを目の当たりにして、シュリーマン氏は驚愕したのでしょう。
 
日本の前には清国に寄っているのですが、清国のシステムが見掛け倒しで不潔で、しかも僧侶にしても役人にしても、とにかく尊大に振舞うので辟易していたようですが、その後に来た日本では、僧侶はもちろん、武士から町人にいたるまで皆誠実で、しかも偉ぶるところもなく、楚々として礼儀正しい。
そうして日本社会を見聞するにつけ、東洋というひとくくりの思考では説明しきれない、日本人の教養と清潔指向に驚嘆するのです。 当時、日本を訪れた多くの外国人が賞賛を惜しまなかった、そうした独自の日本文化に、羨望すら覚えたのかも知れませんね。
page3 に、つづく・・・

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