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江戸時代に頂点に達した、リデュース・リユース・リサイクルを駆使した 物を大切にする文化を、平成の世に生かすために・・・(2) |
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前項では、江戸末期、若い人材たちが欧米の驚異的な生産力に圧倒され、それに追随せねば亡国の憂き目に遭うという危機感から明治維新にまい進することになったというところまで述べました。
結局のところ、欧米列強は産業革命によって高まった生産力を活用してより多くの富を得るため、その市場と原料を手に入れる競争を始めてしまい、その波が東アジアにも押し寄せて来たというのが、あのペリー来航であり、日本が欧米諸国の、市場や原料供給地や労働力の供給地という名の植民地になることを避けるための体制革新が、明治維新であったということなんですね。
実際、長州藩の若き高杉晋作や伊藤博文は、大政奉還の5年も前に上海に渡り、アヘン戦争で負けた後、当時の清国が欧米列強にどのように侵食され、民衆がどのように塗炭の苦しみを味わっているかを、直にその目で見て、恐怖の感情を抱いたと言いますから、その危機感は想像を絶するものだったのです。
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そうして明治維新を成功させ、近代化の道を突き進みだしたのですが、それはやはり、西欧列強の後を追うような方法しかなかったのでしょう・・・
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なぜなら、そうして日本が欧米列強の圧力をかわしながら近代化を推し進める過程ですら、欧米列強の植民地争奪競争は止まなかったのですから。
第二次世界大戦が始る直前の状況では、地球全体の面積の半分を占めようかというアジア・アフリカの中で、まがりなりにも独立国と言える国は、日本、中国、タイ、そしてエチオピアの4ヶ国を数えるだけで、他は全て強国による分割の憂き目に遭っていたのです。
とまぁ・・・ 欧米の後を追わねば自国が危ない・・・ それは解るのですが、自分も同じ轍を踏み、資源と市場を求めて外に武力を用いた勇み足は、やっぱり悔やまれますね。
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でも、第二次世界大戦が終わって、その後はアジアの国々もアフリカの国々も次々に独立して、一見対等な国になったように見えますが、やはり列強との力関係は、経済・軍事ともに大きく開きがあって、支配・被支配の関係が色濃く残っているように思えます。
日本の場合は、戦争によって多くの人材を亡くし、しかも敗戦と生産設備の壊滅という困難がありましたが、江戸時代以来培ってきた教育の充実と、勤労意欲が旺盛だったこともあってそこから立ち直り、再び列強 ( 平成の世では先進国というそうですね ) の仲間入りを果たしました。
その日本は、昭和30年代くらいまでは物を大切にする文化は強く残っていたようですが、生産力が高まるにつれて製造コストが下がり、またその後のドルショックくらいからでしょうか、円の価値が上がるにつれて、原料が安く買えるようになり、一見 「 豊か 」 な消費社会を迎えることになったようですね。
でもそこにはひとつ、落とし穴があります。
それは、その一見 「 豊か 」 な消費社会を営むには、まず第一に 「 安い原料 」 と、第二に 「 有り余る生産力 」 というものが必要なのです。
ひところの冷戦時代には東西冷戦が最大の問題でしたが、その後は、北半球の先進国が、経済的優位を背景に発展途上国を実質支配し、産出される資源を不当に安い価格で買い叩く、18世紀から今に残って続いている南北問題が、人々の人権意識の高まりとともに益々顕在化しています。
宗教問題やイデオロギー・・・ 世界に紛争の種は尽きませんが、それらは多分に大義名分に過ぎず、結局は経済的に潤えばほとんど解決する問題だと思われます。
力のある者が強欲を捨て、違う豊かさを求めるならば、解決は早いのですが、それも難しいことですね。
でも最近、ようやくこの傾向にも変化が現れてきていますね。
それは、中国とインドという人口13億・12億の国の経済発展がめざましく、大量の資源を必要としだしたことです。
これはすごいことです。
それまで世界人口65億人のうち、先進国人口は10億人に満たなかったものが、この両国の参入で、一挙に世界人口の半分以上が、従来の先進国並みの資源確保を必要としだしたのです。
平成の世では、資源が必要だからといって、18世紀・19世紀の世界のように、単純にあからさまに戦争を仕掛けることも出来ませんので、経済力での資源の奪い合い・・・ つまりは、原料価格の上昇が見込まれるということなんですね。
原料価格が上がると、原産国の経済事情も好転し、南北問題も一挙に解決に向かうかも知れません。
原料価格が上がると、高い原料を買わねばならない先進国が疲弊に向かうかと言うと単純にそうではなく、工業生産力のある先進国は、そうして経済力を増した資源原産国を新たな市場に加えて、更なる発展が期待できる・・・
じゃぁ、良いことずくめじゃないか!
しかし、そう簡単に喜んでもいられないのが、そうして加速度的に資源消費が大きくなって行き着く先は、やがてやって来る資源の枯渇・・・
このままその傾向が激化すると、行き着くところは恐ろしいことになりかねませんね・・・
そこで、これからの世界に役に立つのが、自然との見事な共生と、物を大切にする精緻な文化を築き上げていた日本の江戸文化なんですよ!
遠からず、そして確実に、大量消費の時代は終わります。
修理より新品を買った方が安いという、安易な時代は、終わります。
新しい技術によって成し遂げられた省エネルギー製品、その省エネ効果と新しい物を作るのに必要な資源・エネルギー、そして環境への影響・・・ そうしたものを総合的に冷静に比較検討し、そして買い換える。
そんな時代に突入しています。
産業界は、省資源・省エネルギーの技術を・・・古来から我が国に伝えられているきめ細かい価値観を活用して、新しい技術をどんどん開発しています。
また、リサイクル業界は、そうして排出される資源を、どう活用し、リサイクルさせるかという技術開発に余念がありません。
そうして遠からず、結果として究極のリデュース ( ゴミ減量 ) が達成されます。
リユース・リサイクルという言葉は、今後の世界の死命を制するでしょう。
そのときに、最も洗練されたシステムを作り得るのは、その伝統を持った日本です。
日本は、世界の明るい未来に貢献できる伝統を持った国なのです。 世界の未来のために、伝統を生かし、先人に負けない、より新しい消費・リサイクルシステムを作りましょう。
私たちは、大量生産・大量消費、そしてゴミの大量発生という、誰かが犠牲となる虚ろな豊かさとは違う、別の豊かさを実現できる資質を身に付けているのですから。
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